大判例

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福岡高等裁判所 昭和44年(ネ)887号 判決 1970年5月25日

控訴人

木下直子

代理人

木下秀雄

被控訴人

松藤久義

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金一二万八、九六〇円およびこれに対する昭和四五年五月一日から右支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は、金員の支払いを命じた部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  控訴人の求めた裁判

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し、金一二万八、九六〇円およびこれに対する昭和四四年五月一日から右支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決および仮執行の宣言

第二  控訴人の請求の原因

一  被控訴人は、昭和四三年八月一七日から同四四年一月五日までの間に二一回にわたり、訴外松尾博の経営するクラブ「ルイ」(以下本件クラブという)で、合計金一八万二、九三〇円相当の遊興飲食をしたが、そのうち金五万三、九七〇円を支払つたのみである。

控訴人は、同クラブでいわゆるホステスをしていたが、同四三年八月ごろ松尾との間で、被控訴人の遊興飲食代金債務につき連帯保証契約をした(以下本件連帯保証契約という)ので、同四四年四月三〇日被控訴人の右遊興飲食残代金一二万八、九六〇円を松尾に弁済し、同日被控訴人に右弁済金の支払いを請求した。

よつて控訴人は被控訴人に対し、右連帯保証債務の履行による求償権に基づいて、右弁済金一二万八、九六〇円、およびこれに対する支払いの請求をした日の翌日である昭和四四年五月一日から右支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  なお原判決では、本件連帯保証契約は、クラブの経営者である松尾が使用者という優越的な立場を利用して、単に客の接待係として雇用したにすぎないホステスである控訴人に不当に不利益をしいて、その負担において一方的に利益を得る不公平な契約であることなどを理由として、右契約は善良の風俗に反し無効である旨判断しているが、本件では、控訴人は被控訴人と懇意な間柄で、代金は必ず支払つてもらえると信じていたので、被控訴人が前記遊興飲食代金の支払いの猶予を得る際には、その都度控訴人から松尾に申出て、被控訴人には支払能力がある旨などを告げて相談し、被控訴人が支払わないときは控訴人で支払いの責任を負う旨申入れて、本件連帯保証契約をしたものであり、右契約は控訴人と松尾との間の従属的な雇用関係に基づいてなされたものではないから、公序良俗には反しない。

三  仮に本件連帯保証契約が善良の風俗に反し無効であるとしても、控訴人は昭和四四年四月三〇日被控訴人の遊興飲食残代金一二万八、九六〇円を松尾に弁済したので、右弁済は第三者の弁済として有効であり、これによつて被控訴人は法律上の原因なくして松尾に対する右遊興飲食残代金債務を免れて不当に右と同額の利得をし、控訴人は右と同額の損失を受けたが、控訴人は同日右弁済をした旨を被控訴人に通知した。

よつて控訴人は被控訴人に対し、右不当利得金一二万八、九六〇円およびこれに対する被控訴人が悪意になつた日の翌日である昭和四四年五月一日から右支払済みまで、民法所定の年五分の割合による法定利息金の支払いを求める。

第三、証拠関係《省略》

第四、被控訴人

被控訴人は、公示送達による呼出しを受けたが、原審および当審における各口頭弁論期日に出頭しなかつた。

理由

一、<証拠>によれば、被控訴人は昭和四三年八月一七日から同四四年一月五日までの間に二一回にわたり、いずれも数名の連れを伴つて自己の負担で本件クラブにおいて、ホステスである控訴人を指名して接待にあたらせたうえ、合計金一八万二、九三〇円相当の遊興飲食をしたが、そのうち金五万三、九七〇円を支払つたのみであること、および控訴人は、同クラブでホステスとして働くようになつた同四二年四月下旬ごろ、その経営者である松尾に対し、控訴人が客から指名を受けて接待にあたつたときは、その客の遊興飲食代金の支払いについても連帯保証責任を負う旨を約定し、この約定は被控訴人の右遊興飲食のときにもなお有効に持続されていたことが認められるけれども、控訴人が、その主張のように、同四四年四月三〇日に被控訴人の右遊興飲食代金一二万八、九六〇円を全額松尾に弁済した事実を認めるに足りる証拠はない。しかし前掲控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、控訴人は右連帯保証債務の履行として松尾に対し、被控訴人の右残代金一二万八、九六〇円を、同四四年四月以降毎月金一万円ずつ(最後の月ははしたの金額だけ)に分割して月々の給料から弁済し、遅くとも同四五年四月末日までには全額の弁済を完了したことが認められる。他に以上の各認定を左右する証拠はない。

二、なお原判決説示のように、本件連帯保証契約が善良の風俗に反し無効であるかについて判断する。前掲控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、本件クラブのホステスとしての控訴人の収入は、一定の給料のほかに、客から指名を受けたときの報酬である指名料などもあり、接客業の従業員以外の一般有職女子の給与水準に比して高いと解されること、本件のような連帯保証契約は、クラブやバーなどでは従来から一般に広く行われていて、控訴人もあらかじめこれを承知のうえでホステスとして右クラブで働くに至つたものであること、控訴人は以前に働いていた同種の店の客として被控訴人と知合であつたため、被控訴人が右クラブでの遊興飲食代金の支払いの猶予を得る際には、その都度控訴人から松尾に申出て、被控訴人には支払能力がある旨などを告げて相談していたことが認められ、かつクラブなどの経営者としては、ホステスのなじみ客の身元や支払能力などについては、その指名を受けて接待にあたつたホステスの識別に依存するほかない場合も多く、このような場合にはホステスの保証があるときは客に遊興飲食代金の支払いを猶予するのが一般であるとも考えられる。

ところでクラブやバーなどでは、その経営者が客に対する遊興飲食代金の集金をホステスに委ねてその回収の責任を負わせる事例は必ずしも少くないし、その集金が時に右経営者や他の従業員によつてなされる場合でも、前記のような諸般の事情をしんしやくすれば、本件のようなホステスの連帯保証契約が、直ちに経営者に一方的に不当な利益を与え、ホステスに過酷な負担をしている公正でないものであると断ずることはできない。もつともこのような契約が、経営者の使用者としての優越的な立場から強制的になされるとか、このような契約があることによりホステスの転退職が著しく制約されるなどして人身の自由が拘束されるような事情があれば、これを無効とすべきであろうけれども、本件ではこのような事情があることをうかがわせる証拠は全く存在しない。その他本件連帯保証契約を無効とする特段の事情は見いだしがたいから、右契約は有効である。

三、以上の理由により、控訴人の本訴請求は、連帯保証債務の履行による求償権に基づいて被控訴人に対し、金一二万八、九六〇円およびこれに対する遅くとも右債務の履行を完了した日の翌日であり、かつ本件訴状送達の後であることが記録上明らかな昭和四五年五月一日から右支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の遅延損害金の請求部分は失当として棄却すべきである。よつてこれと判断を異にする原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条ただし書、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。(丹生義孝 倉増三雄 富永辰夫)

【参考】原判決(福岡地裁大牟田支部昭和四四年(ワ)第一六三号求償金請求事件)理由中の関係部分

二 しかして右認定の事実によれば、風俗営業経営者の一部において雇入れホステスとの間に締結する前認定のような連帯保証契約は、実は右経営者自らが客より取立てるべき飲食遊興代金を労することなく自己の被用者であるホステスに支払わせようとする方便であつて、ホステスの負担において経営者が一方的に利益を得る不公平な契約であると評するほかはない。

なるほど、経営者側は前記したとおり、客からの指名で接待をしたホステスに対しては指名料として報酬若干を与える仕組をとつてこれを優遇していることが認められるけれども、この種の風俗営業においては、雇入れホステスにおいてなるべく多くの馴染み客を持つことが、ひいては営業の発展にもつながり経営者の利益ともなるのであろうから、客より指名を受ける程のホステスに対しては、経営者側としては該ホステスが指名を受けたというそのことだけでも、これに若干の歩合報酬を支払つても然るべきところであつて、指名料として報酬若干を支払つているからといつて、経営者側が当該ホステスに対し、指名した馴染み客の飲食遊興代金についてまで当然に連帯保証責任を負担させるというのは、いかにも不公平である。

或いは、風俗営業界の一部にこのような経営慣行の存するゆえんは、経営者側にはそのような馴染み客の身許素姓や支払い能力など逐一捕捉しがたいところがあつて、これを指名を受けたホステスが接待する際に該ホステスにこの点の鑑定識別を一任するのほかはないという事情もあつてのことかと推測できないでもないが、果してそうだとしても、そのような馴染み客や常得意客に対し、いわゆる「付け」の飲食遊興を許すかどうかは最終的にはまさに経営者の営業方針ないしは決断によるものであろうから、経営者側で右許否を決するにあたつて当該ホステスの鑑識評定その他に依存するところがあつたからといつて、そのことを理由に経営者側が当該ホステスに対し、右「付け」の飲食遊興代金につき当然に連帯保証責任を負担させるというのは、やはり不合理たるを免れない。

つまるところ、右のような経営者はホステスに対し、自己が使用者であるという優越的な立場を利用して自らの負担すべき危険を回避し労することなく客の代金の回収を図ろうとしてかかる契約をなすものであつて、単に客の接待係として雇用したにすぎないホステスに対して不当に不利益を強いている、というほかはない。

三 そこで、このような、ホステスに一方的に不利益を強いる契約の効力について考えてみるに、このような契約の締結に応じた者、すなわちホステスにおいて進んでこれを履行するときは債務の弁済としての効力を認める(従つてホステスから客に対し求償できることとなる)が、このような契約を強いた者、すなわち経営者においてこれが履行をホステスに強要することは許されないところの、特殊の債務関係が生ずるものと解する余地も無いではない。

右のような考察は、特に、本件のように、原告が既に連帯保証債務の一部を経営者である松尾博に履行し終つており、そのことを理由に客である被告に求償せんとしている場合には一見、最もよく妥当する理解の仕方といえそうである。しかしながら、更に思慮をめぐらしてみると、一般に、この種の契約をホステスに締結せしめた経営者はホステスに対する給料支払いの際に容易確実に債権を回収できるのに比し、ホステスが客に対し取得する求償権は多くの場合、殆んど無価値に等しいものであるか、そうでなくとも、この実現に費用とかなりの時間とを要することであろうと推測され、これを本件について見ても、松尾博は原告に対する毎月の給料から一万円宛を差引くことによつて債権を確実に回収しているのに、原告の場合、勤めのかたわら、所在さへ判らない被告を相手どつて訴訟を追行しなければならない破目にあるのであり、たとえ原告が本訴において勝訴の判決を得ても、さらに強制執行をしなければならない煩わしさがあり、この種の契約によつて松尾博の受ける便宜に較べ、原告の不利益は余りにも大きい。

このように検討してみると、ホステスに対しこのような甚だしい不利益を強いる契約について、前記したように、これを自然債務的な特殊の債務関係と評価することは結局は経営者側の便宜を一方的に保護し、その契約に内在する不合理性をそのまゝ承認することにほかならないこととなつて妥当ではない。むしろ、このような契約は善良の風俗に反し無効であると認めるのが相当である。

四 以上のとおりであるから、原告主張の松尾博と原告間の本件連帯保証契約も無効(従つて原告は松尾博に対し何ら債務が無いのに金八万円を交付したこととなり、右交付によつては被告の松尾博に対する本件飲食遊興残代金債務は減少せず、原告は被告に対し求償権を取得するに由ない)と認めるのが相当であり、従つてこれが有効なことを前提とする原告の本訴請求は既に失当である。《以下省略》

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